R45 ALL THAT補足(文&画 柳田光司)

「R45オールザットらじヲ」を担当しています「柳田光司」です。

「柳田?!? 誰やねん?」というクレームを少しでも解消するため

「長~い 長~い自己紹介」をさせていただくことになりました。

第44回「夏の終わりでイキリ満開ソング」(2018年8月31日 OA)

それにしても、今年の夏は暑かった!ですね。

…で、私 考えました。

この暑さに勝つには「さらに熱く、もっと暑苦しく、厚い漢」をぶつけるしかないと!

本屋さんにいけば さまざまな「自伝」がありますが…

おそらくこの自伝ほど 心の扉を激しくノックするものはそうそうございません。

村西 とおる ノンフィクション≪全裸監督≫

その帯には【人生、死んでしまいたいときには下を見ろ!おれがいる。】

職業は全裸で監督。

年商100億円を稼ぎ出したにもかかわらず…借金50億を背負った男です。

あまりにも過激かつ波乱に満ちた人生ですが、

その生涯は 哀しみに覆われています。

東京大学大学院教授。

社会経済学の権威である「松原隆一郎」は、こう絶賛しておられます

日本経済に必要なのは、「村西とおる」が手放さない「生への希望」である。

「資本主義」は死の絶望と生の希望を両輪とする経済システムであり、

多くの人が死の絶望に怯えるとデフレになる。

甦るには、村西とおるが手放さない「生への希望」こそが 必要だ!と。

実は、今回の自己紹介コラムはいつもより締め切りを1日遅れで入稿しました。

でも、やはりアップすることにします。

月曜日からの夏休みあけ。

憂うつだし、しんどいなぁ…、

そういう私も 昔も今も「キツイなぁ…」と思っている一人です。

単刀直入に言えば「…死ぬなよ!」と言うことです。

村西とおるさんのような オッさんでも 土俵際ギリギリで生きているんです。

「えっ? どんなオッさん?」って。

「うん、こんなオッさん」です。

最初に言っときます。

今回、よくわからない「ことば」が出てきたら…各々調べてください。

本名「草野 博美」

福島県立勿来工業高等学校卒業後、上京。

水商売を経て 英会話教材・百科事典のセールスマンになる。

どんな相手でも陥落させる 巧みなセールストークで 

英会話教材販売 売り上げ日本一を達成。

その後(東京から)北海道へ。

当時インベーダーゲームブーム真っ盛りのゲーム機の設置・販売を手がけ財をなすが…

ゲーム機の新作発表会を見に上京した際に 新宿・歌舞伎町で「ビニ本」に出会ったのを機に…「ウラ本」の制作・販売業の道へ。

1980年、札幌でビニ本店「北大神田書店」を立ち上げる。

「北海道大学」と「本の街・神田」から名付けられたインディーズ会社は、

その後、全国展開して最大170軒にまで成長。北海道だけで月5000万円を売り上げた。

「北大神田書店グループ」の会長にまで上り詰める。

「北大神田書店」で儲けた資金で「新英出版」を設立。

社名は新潮社と集英社から一文字ずつとって名付けられた。

1983年、写真週刊誌『FOCUS』に続く2番目の写真誌として

『スクランブルPHOTO』を創刊。『FOCUS』編集長の追跡記事、

「笑っていいとも」出勤前のタモリ激写などゲリラ的な取材で話題となる。

その後、村西氏率いるグループが摘発を受け、資金繰りが悪化。

『スクランブルPHOTO』は 創刊からわずか10号で廃刊に追い込まれる。

その上「わいせつ図画販売容疑」で全国指名手配。

1984年3月に逮捕。(後に懲役1年5か月、執行猶予4年の有罪判決が確定)、

北大神田書店グループも分裂~解体される。

前科者。学歴もない。資格もない。

自分の生きて行く道を得るしかない村西は ここでひらめく。

「これからは、家庭用ビデオデッキの時代だ!」

村西は 当時主流だった「にっかつロマンポルノスタイル」に反旗をあげる。

1984年秋の保釈後。

「草野 博美」は「村西とおる」の芸名でAV監督に進出。

「村西」とは、当時所属していたクリスタル映像の「西村」社長の名字をひっくり返し

「とおる」とは、借金や前科のある自分が再び世にまかり通るかどうか?

という熱い思いから命名。当時、無一文になった村西には「小さな勝算」があった。

当時、「AV」の価格は1本およそ1万円。

しかし、ビデオの普及率は…0コンマ.数~1%未満だった。

大雑把の計算だが ニッポンの人口が1億2千万だとすれば…1%でも120万人。

120万の人たちは 当時30万以上する高い買い物をすれば…

「1本ぐらい Hなヤツを買って、見たい!」となるハズ。

おそらく近い将来、家庭用ビデオの普及率はぐんぐん上がる。

…ということは、同時に「レンタルショップ」が必ず増えていくハズ。

村西の読みは、見事に当たった!

自らが監督・男優・カメラマンを兼ねて本番をする独自路線を開拓。

ソニーのベータカムを肩に背負いながらのブリーフ姿。

本番前のインタビュースタイル。セールスマンの経験を通して身につけた「ナイスですね〜」は流行語。当時の村西は、「神」がかっていた。

「AVの帝王」と言われるきっかけとなったのが、

1986年10月に発売されたK・Kさん主演の「●●ぽいの好き」。

「横浜国立大学でイタリア美術を専攻する良家の令嬢」「脇毛」「ホラ貝」…

『オレたちひょうきん族』の中で片岡鶴太郎によって物まねされた事でメジャー入り。

村西自身もタレントとしてテレビ番組や雑誌に登場。一躍マスコミの寵児となった。

1988年9月。

クリスタル映像と袂を分かってダイヤモンド映像を設立。

村西は事実上のオーナーだったが、代表取締役には就いていない。

当初は売り上げが振るわなかったものの、

「M坂K子」さんの発掘によって火がついた「K乳ブーム」により再び躍進。

一時は10名以上の専属女優を抱え、目黒区青葉台、代々木上原に構えた

ダイヤモンド映像本社でスタッフと女優と共同生活を送る。

専属女優には500万円から600万円の高額のギャラと高級服を弾み、

写真撮影のため海外旅行にも出かけるうちに、ハーレム状態に。

K・Kさんは 渋谷東急文化村近くに 高級焼肉店「香貴店」を出店。

村西は欲望のまま生きていく。

スリランカへ行きAV撮影。革命軍に追いかけられて、スリランカ中を逃げ回った。

1986年暮れ。アメリカでおこしたの「スカイ●●●●事件」

ハワイ上空で セスナ機2機を飛ばし、機内で行為に及び…ロケ中に逮捕。

突き付けられた求刑はなんと懲役370年。

…それでも、村西はまだまだ満足できなかった。

1990年から92年にかけてビデオ映画の製作に進出。「日本ビデオ映画」を設立。

本名の「草野博美」名義で「K・R」「I・N」「A・N」「Y・M」など一般のタレントを起用。

アイドルのイメージビデオを山ほど手がけた。

向かうところ敵なしだった村西監督。

…だが、このあたりから 雲行きが怪しくなってくる。

「日本ビデオ」が発掘した“セクシー系タレント”は、

 ≪グラビアアイドル≫という造語のもと…TVタレントとして拡散~活躍していく。

この頃、過剰な不動産投資で崖っぷち。村西は追い込まれる。

決定打は「空からスケベが降ってくる」との謳い文句で知られた通信衛星放送事業(CS)への過大投資。「ダイヤモンド映像」は1992年に約50億円の負債を抱えて倒産する。

ダイヤモンド映像倒産後(1994年4月~)

アナログ方式のCSテレビでダイヤモンドチャンネルの本放送を開始。

18万円のチューナーを購入し、一か月3500円の受信料を払い

1日8時間放送のアダルトビデオを見るシステム。

4000件の受信契約があったが、1996年夏には放送中止。

その後、株式会社日本映画新でビデオ制作を再開するものの…

売り上げは 上がらず解散。

その後「タオル販売」「立ち食いそば店」経営など商売替え。

一時は、難病による闘病生活。

それでも、村西は いまなお 生きている。

妻は元女優。仕事現場で知り合ったN・M。

彼女との間に生まれた子供は、都内超難関のお受験に合格。

村西さんは 今日も 明日も 明後日も…

決して同調圧力に屈することなく 吠え続けていくでしょう!!

…実は、この夏。

年上の 知人が 帰らぬ人となりました。

享年62。早すぎます。

濃~い 図太い 灰汁の強~い ロック好きのオッさんでしたが 

いざという時には「世間体」や「他人の顔色」などを 過剰に気にする性質でした。

まだまだ やりたい事は たくさんあったのでは!?…と思うとあのオッさんの分まで!

…とは言いませんが 神様から 生かしてもらっているうちに頑張らなくてはと思います。 

すいません。

まったく「夏の終わり」とはまったく 関係ない「お悔み」をお許しください。

色鉛筆画は、少しでも明るく笑っていこう!というメッセージをこめて。

ちなみに 本放送では(でも) まったく違う雑談をしております。

気になる方は、ラジコのタイムフリー(1週間無料サービス)でも番組をお聞きください!

私「柳田光司」宛の 応援メール、ハガキ、郵便なんでも結構です。

一行メッセージでもかまいません。必ず目を通させていただきます。

こちら「R45 ALL THAT 補足」も読んで下さいね~!

次回の『R45 ALL THAT “らじヲ”supported by Joshin』は、

9月7日(金曜日)夜9時から。

テレビコマーシャルの日だということで

私、柳田は「谷口キヨコのCMプランナーとなって…選曲」

来週も お付き合いのほど よろしくお願いいたします。

谷口「わー、わー、言うてます!」

柳田「お時間です!」

2人「さようなら~!」

            (つづく)

画像: 第44回「夏の終わりでイキリ満開ソング」(2018年8月31日 OA)
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