R45ALL THAT 補足 (文&画 柳田光司)

「R45オールザットらじヲ」を担当しています「柳田光司」です。

「柳田?!? 誰やねん?」というクレームを少しでも解消するため

「長~い 長~い自己紹介」をさせていただくことになりました。

第53回「タイツが似合うアーティストソング」(2018年11月2日OA)

毎週ふたりで「選曲バトル」をやっていますが…
学生時代の音楽をいっしょにやっていた友だちから半笑いでからかわれます。

「お前(柳田)もっと真剣に、お前が好きな曲を流せよ(半笑い)」…と。

ふたりでいっしょに やらせてもらっているラジオ番組ですからね…
ぐいぐい自分の色を押し出すのも…なんか?違う気がするんですよね(笑)

もちろん、謎の判定団から「勝ち」と判定され 曲が流れると嬉しいのですが私の合否は
“いかに谷口さんの話の腰を折らずに、彼女のテンションをキープしたまんま盛り上げ導線を拡げられるか?”…「この一点」に尽きます。谷口さんは、フォーキーな音が好みじゃないんです。
これは、決して特別なことではなく… 誰にでもあることなんですよね。
私は、「シタールぽいインド音楽」「ワールドミュージックもどき」は好きではありません。
ビートルズが感化されたインドアレンジぐらいが限界です(汗)

そういや 仕事場を片付けていたら…
「初期のRCサクセション」のDVDが出てきて…食い入るように見てしまいました。

昭和47年(1972)テレビ神奈川で放送された伝説のスタジオライブ。
トリオ時代の「RCサクセション」 めっちゃ カッコよかった!

RCサクセションを初めて見たのは1982年9月30日。
「On Tour'82」「大津市民会館」「中学2年生」でした。

今思い返せば…80年代のジャパニーズロック黎明期。
会場のお客さんは中高生がメイン。
「手拍子」と「笛」と「紙テープ」(笑)

アルバムでいえば…ちょうど『BEAT POPS』の頃。正確な曲順までは記憶していませんが…

♪「ステップ!」♪「上を向いて歩こう」♪「君が僕を知っている」
♪「恐るべきジェネレーションの違い(Oh,Ya!)」♪「つ・き・あ・い・た・い」
♪「いい事ばかりは ありゃしない」♪「キモちE」♪「スローバラード」♪「トランジスタ・ラジオ」
♪「雨あがりの夜空に」♪「Sweet Soul Music」…などなど。

清志郎さんが「愛し合ってるか~い!」って叫べば…「Yeah~!」
すでにこの頃には RCの コール&レスポンスに対し 
むずむずした恥かしさを感じる 中坊の童貞男子。ジャックナイフとは無縁の14歳。
私にとって、「忌野清志郎」は「清志郎」ではなく「清志郎さん」でした。

高校卒業直後、デビューシングル『宝くじは買わない』で鮮烈なデビューを果たした
RCサクセション。ベースの低音がぶんぶん唸る フォークバンドでした。

しかし、2曲目以後は、出す曲出す曲がすべて空振り。
のちに人気がでた『ぼくの好きな先生』も 当時は全く評価されなかったそうです。
一発屋の烙印を押され、日に日に窓際へと追いやられた三人組。
3万円の月給は 瞬く間に消えたそうです。

お金がなくなると(元メンバ。高校の同級生)の「三浦友和」が働く
食料品スーパーの賞味期限切れの食料品で食いつないだそうです。
20代の大人たちが 空腹で眠れず、口を開けばケンカばかり。陰々滅々。
最後の最後は お互いの存在が邪魔になり…視界に入らなかったようです。

「蒸し暑い夏の夜は、近くの小学校のプールへ金網越えて泳ぎにいったよ。
ついでに風呂がわりに身体とか洗ってたよ!地元では、俺たちは得体の知れない奴だった。
学生でもないし、かといってまともな仕事はない。それでも、プロのバンドマンだから…」

「プロのバンドマンだから…って、いつも言い聞かせていたよ。自分に」

所属先だった某大手所属事務所からの仕事斡旋は、ほぼゼロ。たまの仕事は「アリス」の前座。
かつて自分達の前座をつとめた「井上陽水」の前座に逆戻り。
それでも、清志郎さんには 音楽以外に何もやることはなかったそうです。
デビューしてから、4年経った昭和49年。

清志郎さんたちに 小さなチャンスが舞い降りました。
2枚目のアルバムを出して以来、20ヵ月ぶりのレコーディング。RCを支持する音楽雑誌の編集者達は、こぞって『沈黙を守っていたRCがついに活動を開始した…』と応援してくれた。

―――だが、結果は悲しいものだったみたいです。

レコーディング前に勢いをつけようと試みた東京近辺でのワンマンライブ。客入りはまったく伸びず、5ヵ所あったライブの予定も急遽中止を余儀なくされ、2ヵ所のみの開催。レコーディング自体も思わぬトラブルに巻き込まれ、雲行き怪しいものとなっていったそうです。

原因は、清志郎と同じ事務所にいた井上陽水の独立問題。
かつてRCに力を入れていた社員の造反劇でもあったという。

陽水の独立に、事務所サイドは猛反発。
RCに対しても、契約は1年残っているという理由で…移籍を認めなかった。
大手事務所にすれば、微々たる金の3万円。
高校を出たばかりの少年が、海千山千の事務所と結んでしまったひどい契約。

月給3万円。コンサートの売り上げで利益が予想を上回った時にのみ限り歩合として40%を与えられる「子供だましのモンキービジネス」に引っ掛かった三人。あんなにステージで生意気な清志郎さんが 月給3万円と引き換えに飼い殺しされていた忌まわしき過去なんだよな…

…こんなことを コンサート中に考える中学生でした。

少しずつ、少しずつ オッさんになった今もRCは聞き続けています。

気がつけば… 私も あの頃の清志郎さんが置かれていた立場や言動や行動が
頭の先からつま先まで完全に理解できる漢に成長しました。ただただ契約切れを待つ空しさ。

22歳の清志郎さんは ひたすら待ち続けたそうです。
でも、その入魂の3枚目のアルバム『シングルマン』は、発売延期となった。

「なんか、気が抜けちゃってさ。確かに、発売したって仕事も完全に干されているから
 プロモーションもできなかったと思うんだけどね。」

「そりゃ事務所にすれば、出すだけムダだもんな。
契約が切れれば、俺たち(RCサクセション)はいなくなるわけだし、
そんな奴らのレコード出しても、宣伝費使うだけで得にならないんだから・・・」

初めて、RCサクセションを見た年のクリスマス。
1982年(昭和57年)12月24日。
RCサクセション 二度目の日本武道館コンサート。

その模様を記録したFM放送から録音した音源は私の宝ものでした。
何十回、何百回、何千回も繰り返し 繰り返し聞いた秘蔵テープでした。
熱気渦巻く大声援の中 演奏された♪『いい事ばかりはありゃしない』

おそらく、こういう原体験の繰り返しが 人間形成を作ったのだと思います。

「私が好む メロディーは マイナーコードが アクセントのように入る曲が多いなぁ…(笑)」
と ふとした拍子に感じます。

初期のRCのDVDを観ながら…「でも、谷口さんは あまり好みじゃないだろうなぁ…」

「…という事は、選曲バトルには合わないかなぁ…」
…なんて思いながら キープON無我夢中。キープON「熱視ING」です(汗)

♪「もっとおちついて」♪「三番目に大切なもの」♪「ガラクタ」♪「冷たくした訳は」
♪「ぼくの好きな先生」♪「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」♪「2時間35分」♪「春が来たから」♪「愛してくれるなら」♪「お墓」♪「キミかわいいね」

「…とは言いながら、今のFM局にはこういう曲はオンエアーすべきだよな…」
…なんてことを考えながら。でも結局は「謎の判定団」からも…敗北判定を下され(笑)

…腹を立てながらラジオ局にあっかんベー(笑)
なんばウォークをイライラしながら闊歩する私でした。

こんな 私が「タイツ★アーティストソング」で推薦したのは

≪クィーン≫の『ボヘミアンラプソディー』 

なぜ?私がこの曲を推薦したのか?気になる方は、
ラジコのタイムフリー(1週間無料サービス)でも番組をお聞きください!

私「柳田光司」宛の 応援メール、ハガキ、郵便なんでも結構です。
一行メッセージでもかまいません。必ず目を通させていただきます。
こちら「R45 ALL THAT 補足」も読んで下さいね~!

次回の『R45 ALL THAT “らじヲ”supported by Joshin』は、

11月9日(金曜日)夜9時から。

次回のバトルテーマは「仲直りソング」

来週も お付き合いのほど よろしくお願いいたします

谷口「わー、わー、言うてます!」

柳田「お時間です!」

2人「さようなら!」     …(つづく)

画像: 次回のバトルテーマは「仲直りソング」
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