今週は、和歌山県にある第3番札所「風猛山 粉河寺」をご紹介しました。国宝に指定されている「粉河寺縁起絵巻」によると、奈良時代末、770年に、地元の漁師「大伴孔子古(おおとものくじこ)」が開いたと伝わっています。

夜ごと猪や鹿を狙っていた大伴孔子古が、ある晩、光り輝く土地を発見し、その場所に紫の庵を建てました。安置する仏像がなく困っていたところ、ふらっと現れた童男行者が一晩泊めてもらったお礼にと、七日七夜、庵に
こもって、等身の千手観音像を刻み、立ち去りました。

その後、河内の国の長者・佐太夫の一人娘が長期間、病を患っていたところ、童男行者が訪ねてきて、千手陀羅尼を唱えて祈祷したところ、やがて娘は回復したそう。童男行者は長者がお礼にと申し出た宝物の数々を断り、娘が捧げた箸箱と袴を手に「紀伊国那賀郡粉河の者だ」と告げて立ち去ったそう。

翌年、長者一家が粉河を訪れたものの、なかなか見つけられず小川の傍らで休んでいたところ、ふと流れる水がとぎ汁のように白いのに気づき、庵を発見することができました。扉を開けると千手観音が安置され、娘が差し出した箸箱と袴を持っていたので、童男行者はこの千手観音の化身だったことが分かったと伝えられています。

本坊の隣にある「童男堂」には、童男大士(童男行者)が祀られています。毎年12月18日の1日だけ、朝6時~夕方4時まで御開帳されますよ。
また、23日から京都国立博物館でスタートした西国三十三所 草創1300年記念の特別展では、この国宝に指定された「粉河寺縁起絵巻」が8月16日まで展示されています。
この絵巻は、幅約30cm・長さよそ20mで、
詞書と絵画によって構成され、2つの霊験物語が一巻に描かれています。

ご本尊の千手千眼観世音菩薩は、絶対秘仏で、これまで公開された記録がありません。また、お前立も秘仏で観られません。
江戸時代に再建された大門、中門、千手堂、本堂は重要文化財に指定。1720年に再建された本堂は、西国三十三所のなかで最大の本堂といわれています。本堂前のお庭とともに、ぜひそのけ勇壮な風景を楽しんでください。

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