本日8月19日は、「みんなで短編小説」第2回 優秀作品の発表を行いました!!
今回選ばれた作品はこちらです!!

「或る夜」   投稿者 兵庫県のonuicoさん

 阿片の入った煙草の煙が一筋、立ち上っている。硝子窓の隙間からほんの少し、東洋のあわい匂いが漏れ出ていた。
 蝋燭の灯で、外よりわずかに明るい部屋の中を覗くと、天井を見遣る先生がいた。椅子の背に身を預け、うつろな表情をしている。私は出かかっていた声を飲み込んだ。
 先生はむつかしい本を書く人だ。いつも机に向かっていて、私がうっかり原稿にインクをこぼしてしまっても怒らない、立派な人。
 爪を立てないよう注意して、私は窓をとんとんと叩いた。
 はっとしてこちらを見た先生は、「ノワール」と私を呼んで窓を開けてくれた。よかったよかったと私を抱き上げ、
「パディントン駅の近くで猫が轢かれてたと聞いて、君は二日も帰ってこないから……」
 ……そんな間抜け、私ではない。私は、辻馬車の馬の背を踏み台に、石造りの建物を勢いよく上ると、屋根伝いで悠々と帰ってきた。
 なおも無事でなによりと云う先生に、私は大事に咥えていた小さなお土産を渡した。先生は不思議そうに受け取り、
「どこへ遊びに行ってたんだい?」
 がぶり——私は先生の親指を噛んだ。間違われては困る。出かけていたのは仲間との集まりのためであり、仕事だ。その帰りに劇場へ寄ったけれど、それも見回りをかねてだ。
 小さく呻いた先生は「余計なことを聞いたようだ」と反省すると、夜霧で湿った私の身体を拭いてくれた。
 初めて会った日も、先生はこうしてくれた。私は深い霧の中を歩いていた途中、湿気で重くなった身体をパブの軒下で休めていた。すると「見事な夜を纏っているね」と声をかけてくる紳士がいて、私は自慢の真っ黒な身体を褒められ気を良くした。それが先生と私の出会いで、その夜から一緒に暮らしている。
「静かな夜だろう、ノワール」
 冷えた私の手を握りながら先生は云った。
「妻たちは昨日からフランスなんだ。淋しく感じていたら、君が帰ってきてくれた」
——それはよかったわ。
 先生が目を丸くした。私は自分の言葉が通じたとわかり、面白くなって笑ったけれど、先生はどういうことだと首を傾げてしまった。
——悩みがありそうね。話してみて。
 いつまでもそのままの先生に、私は堪りかねて云った。先生はしばらく逡巡していたが、君を探していたときにと話し始めた。
「大通りで、あの男を見かけたんだ。私のハンサム……恋人だった青年を奪った男を」
 そう云って、先生は下唇をきゅっと噛んだ。
 だいたいのことを、私は仲間から聞き及んでいる。先生には、家族のほかに、とても愛している青年がいた。彼と過ごすときはいつも文学の楽しみを先生は教えていたのだが、それが発端となりその彼は別の人のもとへ羽ばたいてしまったのだった。
「隣にいたのは彼でなく、知らない美青年だった。それはまあいいとして……」
溜息をつき、先生は眉根を寄せた。
「あの男、白昼堂々と、緑のカーネーションを襟元に挿していた」
——それは駄目なこと?
「男色家とばれて捕まっていいなら構わない。奴は、ひとつも隠そうとしてなくて、それが無性に……私だって……」
激しく机を叩いた先生は、 
「女になりたい!私の心は女なんだ!」
偽るのはもういやだ、と大声で泣いた。
先生が落ち着くのを待って、私は云った。
——ねえ、魔法を使ってみない?
 机の端からお土産を引き寄せ、先生の前に置いた。「口紅」と先生は呟いた。
私は見てきたのだ。劇場では、舞台に立つ者はみな化粧をしていた。少女が娼婦に変わるさまは見事で、彼女は見惚れる私に「化粧すると勇気が湧くのよ」と教えてくれた。
 なかば強引に私に押し切られた先生は、しぶしぶ口紅の蓋を外した。薄明かりの中で鏡に顔を近づけ、慎重に口紅をさした。それから鏡に映る自分をじっと見つめ、黙っている。
 不安にかられ始めた矢先、先生の表情がじわじわと緩んできた。
——話し方も変えてみましょう。
 劇場で得てきた知識を、私は次々に披露した。手の仕草、視線のやり方、歩き方。私を真似て、先生は上目遣いで甘えた顔を作る。ふたりでくすくす笑った。
 わかっている。これらは一時の魔法で、先生の悩みを根本から解決するものではないと。それでも、先生の苦しみを少しでも和らげたかった。その気持ちが伝わったのか、
「君がいてくれてよかったよ、ノワール」
先生は頭を撫でてくれた。私は嬉しくなり、大好き、大好きよ先生、先生が大好きよと何度も頬ずりした。

リスナーの皆さんからの投稿をお待ちしています!!

今回も本当に沢山のご投稿をいただきました。ありがとうございました!!
このコーナーで優秀作品として発表させていただきました作品は、
角川春樹事務所 PR誌「ランティエ」に後日掲載予定です。

このコーナーでは引き続き、
リスナーの皆さんから募集し、毎月1エピソードずつ発表していきます。
猫と主人公の女性の、生まれ変わりを経てつながる8つ物語…。
時代、国籍、猫の種類、物語のジャンルなど設定は自由です。
文字数は2000字程度(原稿用紙5枚程度)
番組内で1話ずつ紹介させていただき、そこで登場した時代や設定、
一度登場した猫の種類(色、猫種)などは以降の物語では使えません。
第1回で紹介した湊かなえさんが執筆した
「あなたとわたしの物語」に登場したのは、現代に住む女性と白い猫。
そのため、「平成中期以降」、「白い猫」という設定は使えません…。
作品はこちらからご覧いただけます。

前回の作品では、「江戸時代前期」、「三毛猫」という設定が登場。
そして今回は、「19世紀末=明治時代前半」、「黒猫」が出てきました。
<<既に登場した時代>>
「現代(平成中期~令和)」「江戸時代前期」「明治時代前半」
<<既に登場した猫の種類>>
「白い猫」「三毛猫」「黒猫」
以上の設定以外を使って、短編小説を執筆、投稿お願いします!!
第3回の〆切は、9月2日。
お送りいただいた作品全ては、湊かなえさんご本人が読み、選考してくださいます。
第3回の発表は9月30日(水)の番組内で行います。
(引き続き、毎月1本、募集・発表を続けていきますので、奮ってご投稿ください)
投稿は↓のメッセージフォームから投稿いただくか、
〒556-8510 FM大阪『湊かなえの「ことば結び」』
「みんなで短編小説」のコーナー宛でお願いします。

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