2018年からスタートした「西国三十三所 Trip around 33」も、4年目を迎えました。今年は、西国三十三所の札所紹介はもちろん、毎月さまざまなゲストをお迎えして、仏教にまつわるお話をお伝えしていきます。2021年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

新年1回目の今週は、改めて「西国三十三所」についてご紹介しました。
⻄国三⼗三所とは近畿2府4県と岐⾩県に点在する、33箇所の観音菩薩を祀る寺院の総称。これらの寺すべてを回る「⻄国三⼗三所観音巡礼」は、日本で最初の巡礼です。

その歴史はおよそ1300年前にスタートしました。養老2年(718年)、奈良県にある長谷寺の徳道上人が、病で仮死状態となり、冥土で出会った閻魔大王から、33か所の観音霊場を開き、人々に観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めるようにいわれ、起請文と33の宝印を授かりました。

現世に戻った上人は、閻魔大王が選んだ33か所の霊場の礎を築き、人々に巡礼を広めようとしますが、なかなかうまく行かず、いまの兵庫県にある中山寺の石櫃に宝印を納めて、機が熟するのを待ちました。それからおよそ270年後、花山法皇がその宝印を見つけ出し、巡礼を復活させます。もともと巡礼は、僧侶や修験者がおこなう厳しい修行のことを意味しており、一般の人々に西国巡礼が広まったのは、仏教が普及した鎌倉・室町時代以降のことです。

西国三十三所の総距離はおよそ1千キロに及び、一般の人はなかなか巡礼することができませんでした。また、中世日本の首都であり、文化の中心であった京都には、33のうち3分の1の札所が集中していることから、“憧れの巡礼路”でした。やがて、遠方で巡礼が困難な人々のために、坂東三十三所や秩父三十四所など、各所に写し霊場が創設されました。

2018年に草創1300年を迎え、記念事業がスタート。この番組が始まったのも、この年です。2019年には「1300年つづく⽇本の終活の旅~⻄国三⼗三所観⾳巡礼~」として、⽇本遺産に認定され、今なお、沢山の人々が巡礼されています。

コロナ禍で、なかなか思うように巡礼ができない日々が続いていますが、どうぞご無理のない範囲で、観音様に心を寄せていただければと思います。

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