本日3月31日は、本年度ラストのオンエア!
そして「みんなで短編小説」第8回 優秀作品の発表を行いました!!
今回選ばれた作品はこちらです!!

投稿者 東京都杉並区 の 岡本ましろ さん

「この泥棒猫め」台所のほうで荒げた声が聞こえた。可乃子は筆を止めると、籐の椅子から立ち上がり障子を開けた。
「一体、どうしたというのです」
 おキヨはその声で我に返ったのか、振り上げていた杓子をおろすと「猫でさあ先生。猫が干物を持ってちまった」と肩をすくめ、次いで「あたいの夕飯があ」とすとんと肩を落とした。
可乃子は草履をつっかけると、干物ののった竹ざるを手に取り勝手口へと近づいた。おキヨは口をあんぐり開けて「先生、どちらへ」
と追ってきたが、可乃子はそれを制すと
「お前だけ干物なしというのも寂しかろう」と静かに笑って外へ出た。
 門前の紫陽花の茂みが僅かに揺れていた。屈めてみると奥のほうで、やはり猫が干物にかぶりついている。可乃子の視線に気付くと途端、猫は尾っぽを膨らませ息を漏らして唸ってみせた。
「そう荒ぶるな。腹が減っていたのだろう」可乃子は微笑むと、もう一枚の干物を猫のほうへ投げてやった。「ほれ、とりなさい」
猫の睨みは厳しい。人間の言葉がわかる筈もないと思ったが、可乃子は猫に語りかけた。
「お前は生きるためだったのだ。仕方があるまい」可乃子は大輪の紫陽花を見遣った。
「ところで私は近頃、命の次に大切なものを盗まれたのだ。ちょうどこの花の色に似た過去の日記帳の中身だ。先日雑誌に、『望郷』という名に変わったそれを見た。作者の名は、愛していた男の名だった」
可乃子は紫陽花を一片摘んだ。「それは生きるため故だったろうか。私は愛のもとに赦し給うべきだろうか。この時代だ。未だ女の作るものは大概爪弾きにされてしまう。男の名を借りてでも私の心が世に出るならば、それもまたよしとすべきだろうか」
 可乃子は指をこすると、摘んだ紫陽花を風に飛ばした。若紫のガクは緩やかに螺旋を描き落下していく。
 その行方を目で追うと、足元には猫がいた。いつの間にか落ち着きを取り戻し、甘えた声で鳴いている。可乃子は笑った。「そうか案じてくれたのか」試しに猫に手を伸ばしてみたが、猫は掌に身を委ねたままにしている。
「どうだ。お前さえよければうちにこないか」
 こうして猫は篠山家の一員となった。しかし幾日たっても猫は俄か夢心地の中にいた。相変わらず女中はうるさいが、差し引いても温かい飯と寝床は毎日決まって与えられる。つい先週までお茶屋のゴミを漁っていた自分と、果たして同じ猫だろうかと疑わずにはいられない。主人は美しく、その細い指で眉間を撫でられると我慢しても喉が鳴る。だから当然主人を悲しませるものは自分の敵として立ち向かわなければならないと、猫は固く心に誓うようになった。
 ある日、主人は早くから家をあけた。幸い日記帳は机の上に積まれたままだ。猫はひととびにそれを咥えると、障子扉に隠れ女中の行動を伺った。しめしめ、あやつ尻をふって米を研いでやがる。今のうちに抜き足差し足猫足だ。
猫は女中の目を掻い潜り、外へ出た。そうして一目散に走った。きっと、本を抱えた連中がよく集まるあの場所にいけば、どうにかなるに違いない。あすこの掃除番は気前がいい。よく弁当の残りをわけてくれた。そう、ここは東京、神楽坂。自分は神楽坂の元・野良猫。地場の力をなめんなよ。
 猫は裏路地から赤城坂のほうへ向かった。大通りは馬車が多い。あやうく轢かれてしまっては元も子もない。石段を駆け下りながら猫は思う。赤城坂は険しい。だが一刻を争う事態だ。走ろう。
 猫は走った。走って坂をあがった。生まれてこのかたこんなに苦しい思いははじめてだった。それなのに、不思議と心地いいのはなぜだろう。坂をのぼりきり、破れそうな心臓で赤城神社を通りぬけ、神様に会釈する。ありがとう神様。きっとあの人は、昔一緒に暮らした、あの人だったんだね。
 掃除番はいた。こちらに駆け寄ってくると、日記帳をとり、驚いた様子でページをめくりはじめた。「こ、これは詩人篠山可乃子の日記帳ではないか」
 よし、あとは頼んだ掃除番。主人の魂、お前に託した。
 紫陽花も枯れる頃、可乃子宛てに、出版社と『望郷』の著者から連名で手紙が届いた。そこには重々しい謝罪の言葉と、真実を誌面に掲載すること、『望郷』は改筆される旨が記されていた。
 可乃子はたいそう驚いた。おキヨにさえ隠し通してきた秘密ではないか。慌てて日記帳を探してみるが、あろうことか忽然と消えている。
一体、誰が――。まさか。
振り向けば、蚊帳の中で悠々昼寝する、猫の姿。

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オンエアでもご紹介しましたが…
今回は敗者復活枠、第1回に投稿いただいた
岡本ましろさんの作品が採用となりました。

そして今回は「みんなで短編小説」最終回!ということで、
湊かなえさん執筆の「エピローグ」もご紹介しました。

あなたとわたしの物語 エピローグ

 夢の中とはいえ、自分の想像力だけでは作り上げられない世界が視界に広がっていることが、これは他者から見せられている物語だという証のように感じる。その景色に、中学の頃から追いかけているアイドルのポスターが加わり、気分があがるのも束の間、その横にくたびれたままハンガーにつるしてあるスーツが現れ出したら、夢の終わりの合図だ。
 それを認識できている段階で、もう夢から覚めていると言えるのかもしれないけれど、私はまだ目を閉じたままでいる。もうすぐ声がきこえてくるはずだから。
「どうだった?」
 ほらきた。物語のあとの第一声は毎夜同じ。約一週間、日中も一緒に過ごして気付いたことがある。シロが私の頭の中に人間の言葉で語りかけてくるのは、生まれ変わりの物語を見せてくれる前後だけだ。
「ひとつ聞いていい?」
 シロの質問には答えず、一番気になっていることを訊ねてみることにした。
「なあに?」
「生まれ変わりの物語は今夜が最後でしょう? 明日からはどうなるの?」
「それを決めるのは、あなたじゃない。そのために、わたしは毎晩、わたしたちの物語を見せてきたのに」
「明日からもこのパターンの夢を見ることはないの?」
「はあ…」
 シロは不満そうにため息をついた。
「それは、これまで見てきたものがただの夢だから、これからも続くって言いたいの? わたしが見せた物語が、あなたの前世のことだと信じていないってこと?」
 まるっきり否定するわけではない。シロの見せてくれた世界を、私は映画のように眺めていたのではなく、自分のこととして体感していたのだから。痛みも感じたし、涙も流した。それでも、100パーセントの真実として受け入れることはできていない。
「だって、ものすごい偉人の回もあったじゃない」
「そりゃあ、何度も人間やってりゃ、アタリハズレもあるでしょう。ネコだって同じ。今のわたしが持ってる特殊な能力は、あなたに八回分の生まれ変わりの物語を見せることだけかもしれない。一話見せるごとに体がフワッと軽くなったような気がして、今はもう何も考えず、ただゴロゴロしていたいって思うだけだもの」
 そう聞いた途端、ギュッと胸を締め付けれらるような思いが込み上げた。自分が毎晩、この時間を楽しみにしていたことを、改めて思い知る。ちょっと生意気なシロと物語の感想を言い合う時間も好きだった。それが、もう終わりだなんて。
 だけど、別れではない。感想合戦は大概、シロの「あー疲れた」という大あくびで終了する。その後、私は目を開けて、まず、自分の枕の横にシロがいるかを手探りで確認し、丸い輪郭に添って、喉や背中をなでる。ありがとう、と言うように。
 どの時代でも、シロは私を励まし、助けてくれた。無職になることなど、とるに足らないことなのかもしれないと思えるほどの苦難を、シロのおかげ、もしくはシロと一緒に乗り越えて、今の私がいるのだとしたら、せめて今回くらいは私が恩返しをしてもいいのではないか。
 その気持ちがもう、私の背中を前に押してくれるものになっているのだから、今回もすでに助けられていることになるのかもしれないけれど。
 今夜限りで、人間の言葉で会話ができなくなるとしても、シロのしぐさや表情で気持ちを読み取ることはできるし、私はシロにこれまで通りに話しかければ、きっと、思いは通じ、ネコの言葉で返事をしてくれるはずだ。
「シロがお腹をすかさないくらいには、がんばってみるから、これからも一緒にいてくれる?」
「こちらこそ、よろしく」
 窓の外から、小型バイクが走る音がした。新聞配達の時間だ。目を閉じていても、部屋が少しずつ明るくなっていくのを感じる。
「これは、人間の言葉じゃないと伝わらないと思うから、最後に一ついい?」
「いいよ」
 私は頭の中にその声を刻み込もうと、五文字分のスペースをあけるイメージをした。ありがとう、か。あいしてる、か。
「わたしのこと、シロって呼んでるよね。もっとオシャレな名前にしてよ」
 思いがけない要求に、思わず目を開けてしまうところだった。
「そうねえ」
 物語をすべて知り、絆を確かめ合ったあとにふさわしい名前……。それがパッと思いつくようなら、私はもう少し器用に生きてこられたはずだ。夢を見せてくれたから、ユメ? 白色をカッコよく表現して、ブランカ? いや、もっと、かわいらしくて、呼びかけやすい名前がいい。
「決めた! 九度目だということを忘れないように、キューちゃん!」
「う、ニャニャニャ……」
 最後のニャは、頭の外から聞こえてきた。目を開けると、枕の横でシロが立ちあがるのが見えた。ぐーんと背筋を伸ばし、掛布団をふみつけて、私の胸の上にポンと乗る。
「ニャア」
 まっすぐ目を見てそう鳴く様は、抗議のようにも聞こえるし、おはようの挨拶のようにも受け止められる。だけど、確実なことは一つある。
 私とあなたの九度目の物語が始まったということだ。
「よろしくね、キューちゃん」
 声に出してそう言うと、相棒は気持ちよさげに喉を鳴らした。

※本テキストの無断転載は禁止させていただきます。

みんなで短編小説 これまで投稿いただいた作品は…

序章~湊かなえさん:白い猫・現代(平成中期~令和)

第1回~『源さんと招く猫』神戸市北区・ちえさん:三毛猫・江戸時代前期

第2回~『或る夜』兵庫県のonuicoさん:黒猫・19世紀末のイギリス

第3回~東京都のカツオコンパスさん:茶トラ・終戦直後=昭和初期

第4回~京都市のみゆきちさん:グレーの猫・古代エジプト文明

第5回~長岡京市の堅さん:ブチ柄の猫・江戸時代・中~後期

第6回~『老いらくの旅路』大阪府交野市のビーよんさん:キジトラ・古代ギリシャ

第7回~『永遠の微笑み』大阪府のルミンさん:茶色の猫・16世紀初頭

4月からもみなさんからの作品投稿をお待ちしています!

皆さんから毎回趣向を凝らした力作を
お送りいただいていたこの作品投稿企画のコーナーもリニューアル!

題して…「3枚チャレンジ」!!

次回からは、湊かなえさんと、塩田えみさんが
提示するテーマに沿った小説、またはエッセイを
原稿用紙3枚程度にまとめて投稿していただくコーナーに生まれ変わります。
テーマごとに優秀作品を選び、こちらの作品は、
角川春樹事務所のPR誌『ランティエ』に掲載していただきます。

初回のテーマは、
湊かなえさん・・・時計
塩田えみさん・・・はっさく です!
どちらかのテーマを選んで、作品の執筆をお願い致します。
第1回の締め切り日は・・・4月5日(月)です!!

番組リニューアル内容について詳しくはコチラ↓↓

番組へのメッセージや作品投稿は、こちらから↓↓
4月からも【湊かなえの「ことば結び」】を
どうぞよろしくお願い致します。

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