今回はソクラテスと妻のクサンティッペとの話。

西洋では悪妻=クサンティッペのようになっていますが、
これは作り話である部分も多く、実際のところ、彼女については殆どが不明です。
ソクラテスを語る時、影の悪妻の存在があった方が面白いということなのでしょう。

講談の中でも、弟子からの問いに対し、
「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」。
「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。
 悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」。
このような話を紹介させていただきました。

男女の間において、愛が存在するかどうか。
廣田の話を聞く中で、ふと、そんな思いが頭をよぎりました。

廣田は「相手を選ぶ時、少なからず、計算がはたらいている」と説きます。
ですよね。顔が良いだけで結婚できませんから。

今回は、その流れから、廣田の結婚論に話がいきました。
ここは、それぞれ、様々な考え方があると思いますが、
私(ディレクター)は、ある程度の導かれ方が重要なのだと考えます。

それが、世の中的に「縁」というのか、わかりませんが、
ご縁がなければ、出会うこともなかったと思うので、
ある意味、出会わされたのだという感覚が必要な気がします。
生活レベルや価値観のレベルが全く違う人とは出会わないはずですから。
その時、自分にとって必要な人と出会っているのではないかと思うのです。

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