第19番「霊麀山 行願寺」をご紹介しました
平安時代中期の西暦1004年に、行円上人が一条小川の「一条北辺堂」を復興し、「行願寺」と名づけたのがお寺のはじまりとされています。その後、何度も火災や兵火に遭った行願寺は、場所を転々としていましたが、江戸時代中期の1708年に、現在の場所に移転されました。
もともと狩猟を生業としていた行円上人は、ある日、小鹿をはらんだ母鹿を射止めてしまいます。それを悔いた上人は、その母鹿の皮を常に身にまとって鹿を憐み、人々から「革聖(かわひじり)」と呼ばれていたことから、「革堂(こうどう)」と呼ばれるようになりました。山号である「霊麀山(れいゆうざん)」の“麀”という字には、“メスの鹿”という意味があり...