画像: 瞑想やマインドフルネスで”何かを得る”のは間違い!仏教について正しく学ぶ!

今月のゲストは、
京都にある、臨済禅の心を建学の精神とする 「花園大学」
文学部 特任教授 兼 特別教授の佐々木閑さん

最後の週はリスナーの方から頂いていたお悩み質問について。

【ラジオネーム】大阪市住吉区の「慈悲心」
【メッセージ】
哲夫さんこんばんは。
さっき、家事をしながら急に「仏教的に正しい一休さんの歌」を思い出して、口ずさみました。
初めてTVで歌詞を聴いた時は、めちゃくちゃ面白いなぁと思いながら、
意味を調べたもののイマイチ分からない部分もありましたが、
サタデーナイト仏教を聞くようになったお陰か、ようやくほぼ意味を理解できました。
心がしんどいときに「仏教的に正しい一休さんの歌」は、めちゃくちゃ癒やしになりそうです。
あれから哲夫さんの仏教の知識も随分増えたと思いますが、
今だったらあの歌詞の部分はこっちの仏教の言葉に当てはめたほうが良かったなぁ、
と思うのでしょうか?
また、機会があるなら、「仏教的に正しいシリーズ」で何か替え歌を聴きたいです。

【ラジオネーム】ウェールズの神戸人さん
【メッセージ】
こんばんは。イギリスからいつも興味深く拝聴しています。
哲夫さんのご意見を聞きたくて初めてメッセージします。
最近、「瞑想」や「マインドフルネス」が流行して、さまざまなアプリなどを通して身近になっています。
瞑想はもともと仏教の修行で煩悩を消すためのものなのでしょうか?
流行のものは、自分の能力を引き出したり、ストレスを軽減する、という目的でうたわれることが多いですが、もし仏教の修行が源流であれば、「自分の能力を引き出す」などといった目的そのものが
煩悩なのではないのでしょうか。そのような煩悩のために利用されることは良いことなのでしょうか?文化の盗用とも言えるような気がします。

良い質問!
瞑想やマインドフルネスで得ることは間違い。
「煩悩を失くしたいという煩悩」に向き合っていかねばならないようです。

番組では皆さんからのメッセージをお待ちしています。
「勉強・仕事・恋愛・人間関係」なんでもOK。
「喜怒哀楽」のどれかにまつわるお話もお待ちしています。
ご紹介した方には、リニューアルした番組グッズをプレゼント致します。
今回は特製ノート!

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