毎週月曜日にお届けする「オオサカマンスリージャーニー」。

大阪府内の市町村をひとつ取り上げ、1ヶ月にわたって深掘り。ゲストを招いて、DJの”おまり”こと三浦茉莉がインタビューします。ユニークなイベントやその町特有の取り組み、特産品など、町の魅力を幅広く発信するコーナーです。

今月ご紹介するのは…豊中市!

大阪府の北に位置し、東は吹田市、西は兵庫県尼崎市と伊丹市、北は池田市と箕面市に接していて、その立地から千里ニュータウンなど、大阪市のベッドダウンとしての開発が進められてきました。

平成24年には中核市に移行し、教育文化都市として力を入れています。市内には阪急電鉄・北大阪急行電鉄・大阪モノレールの3本の鉄道が走り、交通の便が良く、また伊丹市と池田市を境にして大阪国際空港があり、空の玄関都市としても機能しています。

10月1週目の今日は「豊中市・沖縄市兄弟都市提携 50 周年」についてご紹介します。

画像1: 10月7日(月)マンスリージャーニー@豊中市①

おまり:今日は 豊中市と沖縄市のつながり繋がりについて、豊中市役所・魅力文化創造課喜屋武(きゃん)さんをスタジオにお迎えしました、よろしくお願いいたします。

喜屋武さん:よろしくお願いいたします。

おまり:喜屋武さん、めずらしいお名前ですが…どちらのご出身なのでしょうか?

喜屋武さん:私は沖縄県沖縄市の出身です。というのも、沖縄市と豊中市は兄弟都市でございまして、今年で提携50周年迎えます。その記念すべき50周年の節目を迎えることもあり、昨年4月から人事交流という形で沖縄市から派遣され、豊中市役所に勤務しております。

おまり:人事交流というものがあるんですね。どうですか?豊中、慣れましたか?

喜屋武さん:そうですね。はい、慣れてはきていると思います。

おまり:お話を聞いていたら、いろんな職員さんからいじられたりして、仲良くやっている感じが伺えます(笑)。

喜屋武さん:はい(笑)。

おまり:では、今日はその「豊中市と沖縄市が今年で兄弟都市提携50周年」を迎えることについて、お話を伺っていきたいと思います。私、恥ずかしながら豊中市と沖縄市が兄弟都市提携をしているって知らなかったのですが、なぜ兄弟都市提携をすることになったのか教えてください。

喜屋武さん:両市の交流の始まりはちょうど60年前にさかのぼります。1964年に大阪府道路協会の調査団が沖縄を訪問した際に、沖縄の市町村長との懇談会が開催されました。その席で沖縄市の前身であるコザ市の大山市長と豊中市の竹内助役が出会ったのが始まりです。

その後、豊中市には太平洋戦争の沖縄戦で命を落とした兵士の遺族が多く、ほとんど遺品が残されていないことを知ったコザ市の大山市長が、遺品の代わりとして小石に魂を込めた「霊石」とハイビスカスを遺族に贈られました。それが両市にとって大きな出来事だったんです。

また60年前の沖縄はまだアメリカ軍政府の管轄下にありましたので、コザ市は日本の行政事情が分からないという課題を抱えていました。そこで豊中市が実地研修としてコザ市の職員を多く受入れたのです。

のべ100人以上のコザ市職員を受け入れたこの研修はのちに「豊中学校」と呼ばれるようになり、多くの職員が肩を並べて職務にあたったことにより、両市の交流が進んでいきました。このようなことから関係を深め、コザ市が美里村と合併して沖縄市になった年の1974年11月3日に兄弟都市宣言を行ったのが、提携の経緯です。

おまり:なるほど。コザ市の大山市長の優しさからはじまったというか、そのときの交流が今にもつながっているんですね。交流の歴史には戦争が大きくかかわっていたとは知りませんでした。

そんな沖縄市と豊中市が関係を深めて「兄弟都市宣言」を行ったということですが、「姉妹都市」はよく聞きますが、「兄弟都市」という言葉はあまり聞きなれないですが…。

喜屋武さん:兄弟都市の由来といわれているのは「いちゃりばちょーでー」という沖縄のことわざなんです。「一度でも出会えば、それはもう兄弟のようなものだ」という意味のことわざで、当時のコザ市長と豊中市助役の偶然の出会いからはじまったこの交流をそのまま表したような言葉になっています。正式な兄弟都市提携前の1970年の広報誌でも両市を兄弟都市として紹介しています。

この言葉は現在の交流のキーワードとしてもよく使用されていて、実際にこの50周年は「出会えば兄弟(いちゃりばちょーでー)~友好の絆を次世代へ」というテーマで事業を行っています。

おまり:いちゃりばちょーでー、沖縄のことわざだったんですね!びっくりです。では実際に、兄弟都市として行っている交流など、教えてもらえますか。

喜屋武さん:両市は50年にわたる兄弟都市の歴史のなかでさまざまな形で交流をしてきました。現在の豊中市役所の玄関前には沖縄市から寄贈されたシーサーの像が設置されています。

おまり:へぇ~。

喜屋武さん:同様に沖縄市役所の1階ロビーには豊中市が寄贈した壁画が設置されておりまして、両市ともに兄弟都市からの贈り物が市民をお出迎えしています。

平和交流も盛んにおこなわれておりまして、過去には小学生や新成人を平和親善使節として沖縄市へ派遣しております。

今年は高校生が11月に沖縄市を訪問し、現地の高校生との交流を予定しております。中学校の修学旅行でも、沖縄市を訪れた学校もあり、平和学習を通して、学生同士の交流が広がっています。

さらに市民主導の交流も行われており、1998年から両市の小学生サッカーチームが交流を続けています。互いに訪問して、サッカーの試合による交流はもちろん、ホームステイなどを通して、友情を深めています。豊中市最大級のイベントである豊中まつりも毎年兄弟都市を取り上げて、市民に楽しんでいただいています。

おまり:すごい!交流が思った以上に活発ですね。そんな毎年開催されている「豊中まつり」、今年は前夜祭で豊中市・沖縄市兄弟都市提携50周年を記念したイベントが行われるんですよね。

喜屋武さん:今年は兄弟都市提携50周年を記念して、例年以上に兄弟都市を取り上げる予定となっております。10月18日金曜日には豊中駅前の人工広場で前夜祭を15時から行います。両市のアーティストによるライブやエイサーの演舞などの催しを予定しています。

そして10月19日・20日の豊島公園での祭り本番ではステージや出店などで祭りを楽しんでいただけます。沖縄伝統芸能のエイサーで阪急曽根駅前から会場の豊島公園までを練り歩く「道ジュネー」も予定しておりますので、ぜひお楽しみください。

おまり:この「道ジュネー」も沖縄の言葉ですか?

喜屋武さん:そうですね。エイサーというものは、もともと道ジュネーと言って、街中をエイサーをしながら練り歩くという意味があります。

おまり:楽しそうですね。「豊中まつり」に関しては、来週のこのコーナーで見どころを深掘りしたいと思っておりますので、ぜひ楽しみに待っていてください。

そして10月30日(水曜)には「綾庭の宴-AYAMIYA-  豊中市出張公演」の開催も決定しているとの事ですが、こちらはどのような演目なのでしょうか?

喜屋武さん:「綾庭の宴」とは、沖縄県内外で活躍するミュージシャンや琉球舞踊家、空手家、役者などのプロ実演家が集結してした総合エンターテインメントショーです。沖縄の歴史・文化・風習に触れるストーリーの中に、さまざまな沖縄芸能を織り交ぜ、バンドサウンドと光と演出映像で包み込んだ上演となっています。また、今回は豊中市の桜塚高等学校軽音楽部や豊中市で活躍する豊中エイサー豊優会をゲストに加えた、特別講演になっています。

10月30日水曜日の18時から豊中市立文化芸術センターで行いますので、ご興味のある方はぜひこの機会にご覧いただきたいと思っております。お申し込みは豊中市のホームページ、またはお電話にて受け付けております。

おまり:はい、10月は盛りだくさんですね。どうですか?今の気持ちは。

喜屋武さん:そうですね、ここまできた怖さがありますが。

おまり:あはは、怖さ?

喜屋武さん:はい(笑)、みなさん楽しんでもらえたらと思いながら準備を進めているところでございます。

おまり:では最後に、どうですか?豊中に来て楽しい生活が送れていますか?

喜屋武さん:そうですね。市役所の職員ですので、基本的に県外への異動はないんですね。私も沖縄市役所に就職した時点でもう沖縄から出ることはないのだろうと思っていましたが、そのような状況での派遣でしたので、貴重な機会をいただけたとワクワクして、豊中に来た次第です。

豊中市役所のみなさんは暖かく迎えていただきまして、とてもやりがいをもって働かせていただいております。また、豊中まつり実行委員などの市民のかたからも兄弟都市から来たということで、歓迎いただいております。

豊中に限ったことではないですが、沖縄にはない電車が通っていたり、大きな川が流れていたりと環境に大きな違いがあってとても新鮮です。また自転車を使っている方が多く、車社会の沖縄とはまた違った景色が広がっているなぁ感じます。ただ、スーパーが閉まる時間が早いなぁとか、公園にバスケットゴールがほとんどなかったりすることは沖縄市とちがって、ちょっと寂しいと思ったりするところですね。

おまり:え?沖縄のスーパー、何時まで営業しているんですか?

喜屋武さん:僕の実家の近くは24時間やってます。

おまり:そんなスーパー、豊中にはほとんどない!だったら不便な感じしますね。あとバスケットゴール、そんなにいろんなところにあるんですか?

喜屋武さん:ほとんどの公園にある印象ですね。そんなに大きくない公園もあります。

おまり:うちの息子もバスケットやってるんですけど、なかなかバスケットボールのゴールがある公園がなくて、遠くにある高架下のバスケットゴールまで行ってます。もっと増えてほしいですね。おもしろい発見です。1年半豊中に住んでいて、愛着わいてきましたか?

喜屋武さん:1年半住んできて、少しずつ関西弁も移って来て、いいのか悪いのか(笑)。これも一時的な人事交流なので沖縄市に帰ることになるんですけども、この兄弟都市交流は、今後沖縄市に帰ってからも尽力していきたいと思っています。

おまり:絶対沖縄に帰るとき泣いちゃいますよ。

喜屋武さん:そうですね。泣いちゃうかもしれないですね。

おまり:豊中のみなさんのためにも、豊中まつりもがんばってください。今日は「豊中市・沖縄市 兄弟都市提携50周年」について豊中市役所・魅力文化創造課の喜屋武さんにお話を伺いました。喜屋武さん、ありがとうございました。

喜屋武さん:ありがとうございました。

画像2: 10月7日(月)マンスリージャーニー@豊中市①

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