廣田先生は、先日、玉秀斎と共に鹿児島を訪れ、ザビエル上陸の碑を見つけてザビエルの講談
をしようという話になった。

ザビエルは人命をとして日本の宗教活動に人生をささげた。
そういう生き方はできない。周りの者も自分も己の出世のため、お金のためにしか勉強していない。
ザビエルの生き方を見ても「自分とは違う人だ」という気持で、羨望すら起こらなかった。
講談の中でザビエルの父親の「歴史哲学を身に着けることだ、お前のために、
お前の周りの人のためになる」というメッセージこそ、五代研究で得たいメッセージなのです。

まさにここだ!と、私、番組ディレクターは思いました。

私たち、メディアで番組を作っている者の中で、ある一定の年齢以上の者は、
多分に漏れず、ADという、ある意味、人間以下の扱いを受ける経験をしてきました。
もちろん、最低賃金でです。

そんな中、なぜ、何十年とやってこられたのかを考えさせられる回でした。

私は音楽が大好きです。音楽があったから、今の自分がいるといっても過言ではありません。
生い立ちによるものでしょう。共働き家庭で子供の頃は夜までずっと一人で過ごしていました。
そんな時、私と一緒にいてくれたのは「音楽」と「ラジオ」でした。

勉強する時も、自由な時も、私の部屋では何かの音が流れていました。
気が付くと、私も音楽をやっており、こういう仕事に関わりたいと思うようになりました。

しかし、私の世代は学歴至上主義。
良い大学へ行き、良い企業に就職をし、結婚をして、子供を育てることが命題です。
反発をしました。親にも世の中にも。

この仕事に関わるようになって、自分のような人間を音楽で救えないかと思ってきました。
誰かのために仕事をすることを信じてやってきました。

「働くことの意味を知ってるか? 働くとは端を楽にすることだ。
 あなたの周りの人間の気持ちを楽にしてあげることだ。」と、母に教わりました。

昔、何のために勉強をするのかわかりませんでした。
お金を稼ぐために勉強をするのだと教えてこられました。
違いました。わかるのに数十年かかりました。
周りの人のために勉強するのだ。働くのだ。
自分が信じてきたことは、正しかったのかもしれない・・・と、
廣田先生のお話を聞いて、少し思えた回になりました。

自分のためだけに頑張っても結実しない。
周りを助けるために天は才能という恵みを与えるのだと思うのです。

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