今回はイエズス会結成のお話。
パリ大学でロヨラに出会ったザビエルは司祭ピエール・ファーブルのミサで宣誓します。
これが「モンマルトルの誓い」と言い、イエズス会結成のきっかけとなります。
イエズス会は宗教革命で勃興したプロテスタントに対してカトリック側の防波堤になる。
ポルトガル王に目をつけられてカトリックの教えを広めるため、
インドのゴアに宣教師としてザビエルが送り込まれることになったのです。

講談に出てきたイエズス会、つまりカトリックとプロテスタントの違いが出てくる。
マルティンルターの宗教革命が出てくる。その違いを今回勉強する必要がある。
カトリックは教会を通じて間接的に神と会話する場を作る。
プロテスタントは教会を介さない。神が直接人間を会話をする。
このプロテスタントの考え方を産んだのがルターの宗教革命。
その違いをふまえた上で今回の講談を聞けると一番良い。

非常に難しい回でしたね。

キリスト教に「カトリックとプロテスタントまでは知っていますが、
その違いまではなかなか勉強したことのある方は知らないのではないかと思います。

違いを知るためには、廣田先生もおっしゃっていた
「マルティン・ルター」の宗教革命を勉強する必要があります。
ルターは、大学で神学と哲学を学び、
キリスト教のあり方について疑問が出てくるのです。
「神と人が一対一で向き合うのが本来の姿ではないか」
「大切なのは善行ではなく、信仰そのものではないか」
そこで、腐敗したローマ・カトリック教会の改革を目的に95箇条の論題をカトリック教会に提案。
贖宥状の発行がローマ教皇の資金源になっている点も厳しく非難しました。

当時のローマ教皇に対して、反発していた人たちもルターに賛同し、
そこから「プロテスタント」という宗派が確立していきます。
「プロテスタント」とは「抗議」を意味するラテン語です。

当時、ローマ教皇に反対意見を表明することは「死刑」を意味していました。
ここは、幕府に反発して「攘夷」を掲げた幕末の様相に似ています。
それでも「このままではいけない」と改革を行なった訳には、
ルターの「キリスト教」への愛を感じざるを得ません。

聖書への考え方の違いなど、述べておきたいことはたくさんありますが、
ルターの行なった宗教改革は「民衆の意識の高さ」があって初めて成り立つのだと考えています。
もちろん「愛」があるのは前提です。
しかし、民衆の意識の低下が叫ばれる現代で、果たして、こういった考え方が受け入れられたか。
ひょっとすれば「危険分子」とみなされていたかもしれない。
歴史は事実しか示していませんので、現代に当てはめることは難しいのですが、
現代で改革を行うのなら、方法論が全く変わってしまう。
そもそも「改革」を行うべきか否か。民衆が望むのか。

ザビエルからいろんなところへ行きますね。
廣田先生のおっしゃる通り、10時間は要ります。

This article is a sponsored article by
''.