山中鹿之助の話を聞いた学生。
「ドMですか?」という感想。
どうせ生きるなら楽しくて面白いことだけしたい。苦しいことはしたくない。
山中鹿之介の話、時代に合っていないのでは?

山中鹿之助が仕えていたころの主家尼子家は没落気味。
「尼子家再興」のため、毛利に戦いを挑むも負けて幽閉される。
腹痛を装った計略でボロボロになって逃げだすのです。

その時その時の損得ではなく、人生の一生に関する損得を考える。
自分のために時間を使いたいとかをあまり考えが進んでいない学生が言うのは早すぎる。
自分のために時間を使う、ということがどういうことかわかっていない。

真理はほとんどこの世にはない。すべて仮説である。
人間集団を生きるため、こういう風にしたらいいだろう、と共同幻想を持っているだけ。
真理はない。歴史を学ぶことで相対的な真理を学ぶことができる。
民主主義とかも正しいか? それもわからない。

私(ディレクター)個人の意見になってしまいますが、
時間が有り余っていた若い頃の方が将来のことを真剣に考えたことはなかったように思います。
「時間には制限がある」ことを知った時、自分に何が残せるかを考えるようになりました。
「自分のため=人のため」だとするならば、如何に自分の限られた時間を人のために使えるか。
いや、できてないですよ。
できてないですが、自分のため「だけ」で考えないようにはなったのかなと思います。

これから将来を背負わされる若い世代が社会で生きていけるように必要なことは、
「技術」や「情報」ではなく「自分自身の使い方」だと思うのです。
どういう形で「社会貢献」できるか。
「時間」や「お金」を自分(人)のために利用することができるか。

難しいですね。私もどうしたらわかってくれるのかはわかりません。
わからない中でも伝え続けていかないといけないだろうと思います。

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