講談なしの特別回。

前回の終わりに出てきた「大学の先生は社会に雇われている」という考え方。
でも、世の中は「金の安定が人間を安寧に導く」となってしまいました。

結果、「生活にお金がいる」という言い方を学生がするようになっている。
昔は大家族。お金を稼いでいない人も一緒に暮らしていた。
今は核家族化して、お金が必要な感覚になっている。

現に学生たちは、就職するときになって頑張っている。でも会社辞めることもある。
廣田からすると、我々の時代は金で判断。今の人は金は関係ない。と。
行動指針が他にないから就職活動する。就職したら金ではなく、自己実現を求めている。
充実した人生を求めているのではないか・・・と話した。若者は充実した人生を求めている。

しかし、同調圧力で就職活動している感がある。
就職先を辞める。自分探しの旅に出る。
自分なんてないのに自分探しをする。
自分探しは自分があるという前提で行われるべきだが、自分というものはもともと無い。
生きる目的なんてない、不安。だから一緒に悩もうという。
マイナスを背負っている。マイナスしか背負ってない。
目的のない生存は生きる指針がないから不安なのだ。

やりたいことがない。将来の自分がこうしたい、ということはない。

親鸞は悩む人に「俺にもわからん。でも法然上人はおる」といった。
「この世界は俺が導いてやろう」という学生を生んでいなければならない。
それを学生たちに求めたい。
そんな学生がこのラジオから生まれたら、100万円1000万円に代えがたい。
大学の先生は教育もせなあかんけど、研究もせなあかん。どうする。という玉秀斎の疑問。
木川の授業は他の授業とは違う。教科書を理解する授業をしたことはない。
これはどういうことだ、という授業で悩みを吐露したい。
教えることなんてそんなおこがましいことはできない。
研究と教えるは一緒。
自分が学ぶ姿を学生と一緒に過ごす。
教えるということは自分の生きざまを見せることしかない。
これは教育ではない。

かく言う私も教壇に立った経験がある。
学生たちに学ぶカリキュラムを1年の最初に全て決め込んで、その通りに進めていく。
私はこのやり方に真っ向から反発し、教育現場から身を引くことになった。
私は自分が経験したこと、いや、自分が経験していないことを語ることはできない。
私の初回の授業は「挨拶」と決まっていた。
挨拶が苦手だった私はこの業界で本当に苦労をした。
挨拶はできないよりできたほうが良い。
挨拶1つで印象を変える事ができる。評価も変わる。仕事も増える。面白い世界です。
編集ができなくても、文章が書けなくても、1日の最初に「おはようございます!」と
挨拶できるだけで「あれ、誰?」と会ったことのない人が気にしてくれる。
私が失敗した出来事を、学生には学んで自分に生かして欲しい。そんな思いからだった。

教育とは何か。教育機関とは何なのか。今一度、しっかりと考えてみたい。

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