「哲学の父」とも称される「ソクラテス」。なぜ、そう呼ばれるのか?

それは、ソクラテスの基本的な考え方に「無知の知」があるからです。
簡単に説明すると「自らが無知であることを知っていること」が重要である。
「自分がいかにわかっていないかを自覚しましょう」ということなのです。

ソクラテスは、いろんな人と「対話」を行いました。
軍人に「勇敢とは何か?」を問い、政治家に「正義とは何か?」を問いました。

もちろん、答えなどあるはずがありません。
人によって「勇敢とは・・・」「正義とは・・・」の答えが違うからです。

現代の「無知の知」は変わってきていると、廣田は説きます。
情報が氾濫している社会ですから「自分はいろんなことを知っている」ことを前提に、
「人の意見を聞かない」無知の知が一般的になってきています。
テレビ番組でも知識を競うような番組が増えていますが、ああいうことでしょうね。

現代病といって良いのかわかりませんが、知識が増えすぎることによって、
「取捨選択能力」が欠如しているということなのでしょう。
自らにとって、有益な情報は何なのか、情報がありすぎて選べなくなってしまっている。
全ての情報を知ることで「知識」は増えるが「知恵」は増えていないのでしょう。

悪影響として、学生の皆さんは受験のためにたくさん勉強をするのですが、
その勉強が「知識を集めるため」になってしまっているのではないか。
知識を詰め込むことが目的となっていて、能力を上げることに繋がっていないのです。
悲しいですね。

ソクラテスの時代、軍人に「勇敢さ」を問うたとしても、
その軍人は自分が思う勇敢さを答えることができました。
現代、若者に何かを問うたとして、判で押したような答えであるなら、寂しいなと思うのです。

問いに対する答えは、必ずしも同じでなくては良いはずです。
しかし、そこに「自由」がないような気がして、ソクラテスの時代を羨ましくも思うのでした。

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