魯の下級武士・叔梁紇と、その内縁の妻・徴在との間に生まれます。
孔子が3歳の時、父没。
当時、諸侯は周の王室の権威をないがしろにし、諸侯の国では家老が主君をしのんでいた。
孔子は役人になっていましたが、43歳の時、魯に帰る。
この頃、子路、閔子騫らの弟子が集まり、孔子の名声が高まったとされています。

孔子は、自分の理想の政治を実施してくれる君主を探し求めるものの、
どこへ行っても採用されず、ときには人違いで殺されかけたり、飢えるなどした。
晩年は、政界に望みを絶ち、弟子の教育に専念したと言う。弟子の数は約3000人。
うち「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)に通じた者72人。
孔子によれば、徳行には顔淵、閔子騫、冉伯牛、冉仲弓、
言語には宰我、子貢、政事には冉有、季路、文学には子游、子夏が優れる。と伝わっている。

ついに「孔子」を取り上げることになった「天才的なバカになれ!」。

とても昔のお話なので、どこまで玉秀斎が講談にできるのかと楽しみにしていました。

私たちは、こういった昔の人を、ついデータや歴史上の出来事で追ってしまいがちです。
「何をどうした」とか「何があった」とか。
ちょうど、上記したプロフィールのようなものから考えがちです。

重要なのは「こういう出来事がある」とするなら、孔子は「こう思ったから」ではないか?
と、想像してみることこそ、本当に面白い部分ではないかと思うのです。
だからこそ「天才的なバカになれ!」では、いろんな歴史上の人物に会えるのです。

今回は孔子が子供の頃の話で、今後、どのように、孔子の孔子たる所以について、
エピソードに加え、孔子の考えを私たちは触れることができるのか?

是非、そういった部分についても、楽しんでいただければ嬉しいです。

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