西の五代友厚、東の渋沢栄一ということで、
大河でもお馴染みの渋沢栄一の講談で始まりました。

並び称される両雄ではありますが、渋沢栄一は歴史に名が残り、五代友厚は闇に消えた。
廣田先生は、歴史を学ぶときは歴史の表舞台に立たなかったほうを勉強するが、
なぜ表にならなかったのかを勉強するのが歴史の勉強の神髄であると説きました。

個人的には、第三の力が働いたからなのか、
また、エンターテインメントになりにくいからなのかと感じています。

五代友厚は上士であった。上士と下士の間にも大きな差がありました。
坂本龍馬や西郷隆盛のお話の中にもよく出てくることです。
つまり、明治維新には「下士が上士をつぶしてやる」という部分があった。
その一方、五代友厚にとっては、上士が商人に落ちる、という革命でもあった。
身分が落ちることをわかっていて、革命に参加したというのは特筆すべきことです。

幕末の教育方法が非常に面白い。
渋沢栄一を例にとれば、言葉が覚えられるようになった瞬間に四書五経を勉強する。
今でも全部読める人は居ないような書物を5歳とかから読みなさい、という教育。
寺子屋では生きる学問を教える。
ひらがなで教える、という形もあるけれど、寺子屋教育は四書五経。漢字。
西洋のほうが優れている、と思っているけれど、
日本の江戸時代の学問も同等、あるいは優れているかもしれない。
日本の町民、武士の世界は捨てたもんじゃないかもしれない。
そこが学問の神髄かもしれない。
わからない漢字がいっぱいある。そのまま丸覚えすることによって何が生じるか。
漢字いっぱいは難しいかんじがするけれど、飛び込めれば見えることがある。

私は、現代の教育は「高学歴」を取得するためのテクニックを教えるのだと思っています。
「受験い合格するため」の学問にはなってはしないか?と。
そう思うと、受験のない時代の学問は、意味はわからないけれども、
「丸覚えすることで、見えてくることがある」ということが、とても響きました。
テクニックで学んだ物語は、結局、何を伝えたいのかがわからない。
大事なのは、何を伝えたいのか、史実から何を学ぶかということだと、私は思っています。

私は団塊ジュニア世代ですから、子供の頃にはすでに受験戦争は始まっていました。

戦国時代や三国志の世界が大好きだった私に、主人公とはなりえない、
五代友厚のように闇に消えた人物の物語を与えてくれました。
前田利常の物語でした。加賀百万石の基礎を築いた人物です。
再三にわたって家康に命を狙われながら、
回り回って、越前守・一橋家と縁の深い松平春嶽に繋がっていくのです。
そして、明治維新とも大きく関わっていくことになる。
あの頃、藩が何かも「わからなかった」少年が、物語を丸覚えして、
主人公の考えを着実に吸収していきました。
言葉は「わからない」。難しいことは何も「わからない」。
「わからない」が「わかる」。を思い起こさせて頂いた回になりました。

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