議会は党派争いに明け暮れ、官僚に自由平等博愛を死守する気持ちが無くなり、ヒトラーに屈した。
フランスは本当のエリートを作る学校を作らなければならない。
「エリート」とはラテン語の「神に選ばれた人」が語源。
「エナ」というエリート学校ができることになるのです。
しかし、現代に近づくにつれ、反政府デモが起こる。
民は、自分たちを苦しめる法律を作っているのはエリートたちだと思ってしまう。
自由平等博愛を守るためにエリートを育成するはずだったのが、
自由を退かせ、平等を廃し、博愛を忘れてしまったのです。
国のためにつくす人々を養成する学校のはずが、
特権階級への早道切符へと変わってしまった。
その結果、マクロン大統領は「エナ」を廃止することになったのです。
シャルル・ド・ゴールの思いはどこからねじ曲がっていったのかが気になります。
日本では、旧制高等学校が「エナ」にあたります。
日本では、自分の出世のために学問する、という形になった。
利益の回らないところにはお金が回らなくなった。
教育の世界に資本主義の考え方が入ってきた。
教育の採算性を言い出したら教育は終わる。事実、終わってしまったのかもしれません。
学校とは何か? 技術を教えてもらうところですか?
廣田先生は「教育とは国家の永続をさせるためにある」と説きます。
私は何度かお話を聞くうちに少しだけ理解できるようになりましたが、
何となく、大日本帝国のようなイメージを持ってしまいますよね。
私は、日本が日本として存続していくためには、独自の教育が必要だと考えています。
しかし、現代は教育機関に「金儲け」の側面が出てきているのは事実です。
そりゃ、儲けがなければ教育機関として存続できませんから。
だから、公が儲けを度外視して、エリートを育成する学校を作るべきだし、
国立大学などは、まさにその最たるものであるべきです。
しかし、高等教育に繋がる高校、中学での教育で言えば、
「私立」の方が、エリート育成のためには有利です。
ここに矛盾を感じているのですが、公立の中学高校の教育はどうなっているのでしょうか?
日本という国は不公平に弱い。なのに、資本主義国家に平等はない。
自分の中のエリート意識をどう養っていくか。
エリートとは何か? 教育とは何か? 一層、勉強してみたいと思いました。