生徒たちに教師が「つぶれていく会社に入りたいか?」
生徒たちは「つぶれていく会社に入りたくない」
つぶれていく国に尽くした一人の男について教師が語り始める。

山中鹿之助。病弱な兄幸隆に代わって甚次郎が家督を継ぐ。15歳の時。
山中家伝来の鎧を授けられ、尼子家のために尽くすことになる。
その夜、三日月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ」と念じたのです。

自分のためじゃない生き方をされた方のお話。
人のために生きることこそ自分のためだと学問をすればできる。
それが人間に内在する神の証明。勉強すればそれが知覚できる。
「人のために生きる」ということと「自分のために生きる」ことをどう一致させるか。
自分はたいしたことがない、ということをわかってから、初めて自己確立できる。
廣田は55歳までは「人のために」と言いながら、世間にどう評価されるかばかり考えてきた。
良くなかった。そこからようやく変わり始めた。

面倒かどうかで、やるかどうかを若者は決めているのでは、という疑問。
答えに直線距離で辿り着くことを教えていないかどうか?
元来、人間は生まれたらその時から面倒くさいもの。
教える側の気持ちは「面倒でも後で必ず役に立つ」。
習う側の気持ちは「自分の役に立つと思っても面倒なことはしたくない」。
面倒くさいのを忌避するのは、資本主義の考え方が教育に侵入してきたからです。
学問は人間の幸せに資するものである、ということが無くなった。
心地よさを求めて行けば人間じゃなくなる。
その中で生きてきた子供たちにそのことを教えることの難しさ。
学生たちと命がけで討論すれば、やっと教育の糸口に立った、と感じてくれるはず。
わかってほしい側が諦めないことが大事。

私は諦めてしまったのかも・・・。
廣田先生ともう少し早く出会っていれば、若者との接し方も変わったのかもなぁ・・・。
そう思ってしまいました。

教える側は「諦めない」。でも、学ぶ側も「諦めない」。
ここが合致すると強いような気がします。

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