山中鹿之助は、尼子家が潰されてからも、二度立ち上がりましたが、失敗。
「尼子の残党だけでは限界がある。ここは他の力も借りるとしよう」
そこにいたのが織田信長。
「信長様、どうか尼子家再興のために力をお貸しください」
「鹿之助、もしも毛利討伐の最前線で敵を打ち破ったならば、その方にその城をくれてやる」
「ははぁ、ありがたき幸せ」
あっという間に上月城を落としました。
鹿之助はやっと尼子の殿様をお城に迎えることができたんです。
ところが、別所長治が織田信長を裏切り毛利側についた。
「全勢力をもって別所長治を叩き潰せ!」
「信長様、今、全軍を三木城に向けますと、毛利に上月城を狙われます」
「構わん。上月城は捨て駒。別所長治を討つのじゃ」
こうして、捨て駒とされた上月城はあっという間に毛利に落とされ、尼子は切腹。
山中鹿之助は毛利の元へ送られる途中で殺されてしまいました。
上月城が落ちる前に、山中鹿之助は長男を伊丹の鴻池村に逃がしました。
そこで酒造りに成功した長男は名を鴻池と改め、金貸しとなり、
豪商・鴻池善右衛門となったのでありました。

*鴻池財閥
鴻池家が摂津国川辺郡鴻池村(現・兵庫県伊丹市鴻池)で清酒の醸造を始めたことにはじまる。
その後、一族が摂津国大坂に進出して両替商に転じ、鴻池善右衛門家を中心とする同族集団は、
江戸時代における日本最大の財閥に発展しました。

鴻池銀行は、後の三和銀行。現三菱UFJフィナンシャル・グループですね。
半沢直樹のモデルとして有名です。
何がどうなるかわからない。未来はわからないものです。

現代においては、全く参考にならないし、時代遅れとも感じる「山中鹿之介」のお話。
しかし、山中鹿之介から三菱UFJが繋がってくると、興味を持つ若者も出てくるのかもしれません。
武士の身を追われても、酒造りへと転身し、さらに金貸しへ。
一見すると、泥臭さを感じてしまう山中鹿之介の人生も、
「諦めない心」「臨機応変な対応」などが備わっていたんだなぁ・・・と、
イメージを覆された講談でありました。

いつの時代も「対応力」が求められる。
では「対応力」とは何か? それはまた次回の講釈で。

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