能力があれば、どこまでも成長できる。
その能力は努力で養うことができる。
こう信じて、頑張った結果、成功した人もいれば、失敗した人もいます。
しかし、今の時代になると、その能力至上主義が、
そもそも平等じゃないんじゃないかと言われるようになりました。
いい大学にいけるのは、
お金持ちの子供が小さな時から塾に通わせてもらえるから
お金持ちの子供が小さな頃から色んな経験、体験を積ませてもらえるから
お金持ちの子供が小さな頃から水泳、英語、ピアノなど習い事をさせて貰えるから
とも言われています。
「最も裕福な1%のアメリカ人の収入の合計は、
下位半分のアメリカ人の収入全てを合わせたものよりも多い」
と言われる時代に能力だけを基準にすれば、
お金持ちの家族はよりお金持ちになってしまいます。
偶然、お金持ちの家に生まれたという人、
その運のお陰でいい環境のなかで成長した人々は勝手に実力がどんどん上がっていく。
その実力を使って、世の中にだた人々はエリートと呼ばれるようになるんです。
そして、そのエリートたちはこう叫びます。
「なんで、それができないだ? 努力が足りないからだ」
「なんで、就職ができないんだ? 努力が足りないからだ」
「なんで、仕事がうまくいかにんだ? 努力が足りないからだ」
学歴もない、低賃金で働く人々は、
つねに「お前は努力が足りない」と言われる人生をおくることになります。
そして、ついには誇りを失い、自身を失い、屈辱と怒りをため込んで、
爆発の機会をまつことになるんです。
もしかすると、アメリカでトランプ大統領が生まれたのは、
そういう実力主義に嫌気がさした人々の怒りがその原動力にあったのかもしれません。
人間はそこまで努力し続けることができるんでしょうか?

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