孔子は、六芸を習得したのでした。

六芸というのは書、楽、射、御、数、礼の六つ。

素晴らしい文章を書く為の「書」。音楽の素養の為の「楽」。弓矢を射る「射」。馬を御する「御」。管理するために必要な数字の「数」。軍の統率、冠婚祭礼のための「礼」。

この中で「書」と「楽」について、廣田先生の解説がありました。

文字が人間の原点を作ったのか。音楽が人間の脳を作ったのかという争いがあるくらい「書」と「楽」は面白いのです。人間の知識は何でできたのか。漢字でできたのか。漢字がなければ物語がない。物語がなければ経済も政治もない。音楽は感じる。お母さんの歌声で子供は学ぶ。3歳までに神の歌を聞かせてやって欲しい。

その部分に関して、私(ディレクター)が思うのは、物語も音楽も、どちらも「人の心」を知ることができるという点で同じです。共に鍛えられるのは「imagination」です。物語に触れることによって、その時の登場人物の思うことを想像する。あの時、五代友厚さんは何を思っていたか。坂本龍馬に対して、伊藤博文に対して、また、岩崎弥太郎は何を思ったか。想像することができます。

実は、私は「人間は全く成長していない」と思っています。どれほど技術が進歩しようとも、どれほど時代が変革しようとも、人間が思うことは石器時代からほとんど変わっていないだろうと思っているからです。嬉しい。腹が立つ。悲しい。楽しい。喜怒哀楽は変わらないのでしょう。とすると、モーツアルトやベートーベン、ショパンやバッハや・・・といった、当時の音楽家たちが描いていた風景と同じことを想像することができるのだろうと考えています。「アナリーゼ」も同じようなものでしょう。

当然、子供の頃から、想像力を養うことは、いずれ、大人になったときの創造力に繋がるのだろうと思います。こういう人間が時代のリーダーとして成長していくのかもしれないなと思います。現代、便利になった世の中では「考える」「想像する」という行為はそれほど重要ではなくなったのかもしれません。残念です。人間の素晴らしい部分は「想像力」であると私は考えているからです。人の気持ちがわからない人が増えてしまったのかもしれません。

また、廣田先生がおっしゃるように、誰かへの礼は誰かへの非礼に当たるかもしれないですね。家族のためにと考えて、会社の金を横領してしまったりというようなことはあってはなりません。礼を尽くすのは難しい。

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