画像: 今週より大阪シリーズ! 第4番「施福寺」さんをご紹介しました。

大阪府和泉市にある標高601mの槇尾山の中腹にあり、西国三十三所のなかでも、屈指の難所と言われています。自動車で行ったとしても、山門から本堂まで約1kmの「観音八丁」と呼ばれる石段を登って行く必要があります。台風や大雨、雪など、天候によっては閉山されることもあるので、参拝の際は、注意が必要です。山上には、売店や自販機などがありませんので、飲み物なども先に用意しておくことをオススメします。

古代ヤマト王権の時代、航海の安全と戦勝を祈るため、大和・三輪山の北隣にある「巻向山」から「磐筒男神」という神様を招聘され、祀っていたため「巻尾山」といいます。今も山中には、その神様が降臨された磐座があるそうです。そして6世紀、仏教が日本に伝来してすぐのころに、欽明天皇の勅願により、ヤマト王朝で外交を担った加古の「行満上人」により弥勒如来を本尊として開創され、奈良時代は「茅渟の山寺」と称されたそうです。「茅渟」というのは、大阪湾の東部、和泉国(大阪府南部)の沿岸の古称。

ご本尊の脇侍として、706年に行基が安置したと伝わる「文殊菩薩」と、771年に行基菩薩の弟子である法海上人が安置した「十一面千手千眼観世音菩薩」が祀られており、この「十一面千手千眼観世音菩薩」が西国の札所本尊となっています。

みすぼらしい修行僧が夏安吾(夏籠り)の間、施福寺で過ごさせてほしいと頼み、熱心に修行に励んだそう。夏安吾の期間が終わり、帰る時に旅費を恵んでほしいとお願いしたそうです。寺の僧侶たちはそれを拒んだため、修行僧は怒って出て行ってしまいました。法海があわてて追いかけますが、修行僧はすでにはるかかなたの海の上。法海は、この修行僧が観音様の化身だと悟り、千手観音像を造立したと伝わっています。

なお、槇尾中学校前から施福寺までのオレンジバスは、今年1月末で運行終了しました。
現在は「チョイソコいずみ」という新しい公共交通サービス(乗合)がスタートしていますので、
詳しくは、下記ご確認ください。

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