画像: ついに第33番、満願の地!「谷汲山 華厳寺」をご紹介しました

798年、かねてより十一面観世音の尊像を建立したいと思っていた奥州・会津出身の大口大領が、京都の仏師に観音像を造ってもらい、故郷へ持ち帰る途中、観音像が自ら歩き出し、谷汲の地で動かなくなってしまいました。大領は、この地が結縁の地だろうと思い、この山中に住んでいた豊然上人に相談してお堂を建て、観音像を安置しました。すると、お堂の近くの岩穴から油が湧き出し、尽きることがなかったので、それ以降、燈明に困ることがなかったと言われています。のちにこの霊験を聞いた醍醐天皇から、谷から湧き出る油を灯明に用いたことから、「谷汲山」という山号と、「華厳寺」の寺号を与えられました。

ご本尊は十一面観音菩薩で、秘仏。ご開帳は不定期です。本堂は、明治時代(1879年)に再建されたもので、脇侍には毘沙門天像と、不動明王像が安置されています。また、本堂の床下を一周する「戒壇めぐり」では、真っ暗闇で何も見えないなかを手探りで進み、ご本尊の真下にある錠前に触れたら願いが叶うとされているそうですよ。本堂の2本の柱には青銅でできた「精進落しの鯉」が打ち付けられています。この鯉を撫で、巡礼の旅から開放されると言われています。

画像: ↑この鯉のレリーフが「精進落としの鯉」といわれているそうです!

↑この鯉のレリーフが「精進落としの鯉」といわれているそうです!

十一面観世音菩薩のご真言「おん まかきゃろにきゃ そわか」

This article is a sponsored article by
''.