画像: 第 33番「谷汲山 華厳寺」をご紹介しました

創建は798年。つねづね十一面観世音の尊像を建立したいと思っていた奥州・会津(現在の福島県)出身の大口大領は、文殊堂に参篭して7日間の苦行の末、お告げにより霊木を手に入れることができ、京都の仏師に観音像を造ってもらいました。

完成した尊像を故郷へ持ち帰ろうとすると、観音像が自ら歩き出し、谷汲の地で重くなり、一歩も動かなくなってしまったそう。大領は、この地こそが結縁の地だろうと思い、この山中に住んでいた豊然上人に相談してお堂を建て、観音像を安置しました。

すると、お堂の近くの岩穴から油が湧き出したと言われています。谷から湧き出る油を灯明に用いたことから、醍醐天皇より「谷汲山」という山号と、「華厳寺」の寺号が与えられました。

ご本尊の「十一面観音菩薩」には、華厳経が書かれていることから、「華厳寺」の名前を授かったといわれています。秘仏で、ご開帳は不定期。2009年には54年ぶりに2週間だけご開帳され、大変多くの方がお参りされたそうです。

本堂は、明治時代(1879年)に再建されたもので、ご本尊の脇侍には毘沙門天像と、不動明王像が安置されています。本堂の床下を一周する「戒壇めぐり」が有名で、真っ暗闇で何も見えないなかを手探りで進み、ご本尊の真下にある錠前に触れたら願いが叶うとされています。

また、本堂の2本の柱には、青銅でできた「精進落しの鯉」が打ち付けられていて、この鯉を撫でることで、巡礼の旅から俗世へと開放されると言われています。

柱に打ち付けられた鯉のレリーフ

986年に、西国巡礼中興の祖とされる花山法皇が訪れた際、三首の御詠歌と御禅衣(笈摺)、御杖を奉納し、華厳寺を第33番札所の「満願成就の寺」と定められました。三首のご詠歌は、それぞれ過去・現在・未来にちなんでおり、御朱印も3種類。過去は満願堂、現在は本堂(観音堂)、未来は笈摺堂を表しています。御朱印は本堂の納経所にて、いただくことができます。

十一面観世音菩薩のご真言「おん まかきゃろにきゃ そわか」

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