画像: 第17番札所「補陀落山 六波羅蜜寺」をご紹介しました

天歴5(951)年に醍醐天皇の第2皇子といわれる空也上人により開創された「六波羅蜜寺」。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら諸国を廻り、道路や橋を造るなど社会事業にも尽力した空也上人は、人々に寄り添いながら伝道に励んだため、人々から「市の聖(いちのひじり)」と呼ばれ慕われていました。

当時、京都では疫病が流行しており、村上天皇に「悪疫退散」を命じられた空也上人は、自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せ、市中を曳き回り、小さな梅干しと結昆布を入れて仏前に献じたお茶を病人に飲ませ、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えて病魔を鎮めたと伝わっています。このお茶は「皇服茶」(村上天皇も服用したお茶)として、今も正月の三が日に授与されています。

空也上人の祈願文によると、それから12年後の応和3(963)年、病気で亡くなった人の供養のためにお堂を建て、十一面観音像を安置。各地から名僧600名を招き、鴨川にて「金字大般若経」を浄写、転読し、夜には五大文字を灯して「大萬灯会」を行い、諸堂の落慶供養を盛大に営んだと伝わっています。

現在の本堂は、貞治2(1363)年に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
。ご本尊は、空也上人が作ったと伝わる「十一面観音立像」で、国宝に指定されています。秘仏のため、本堂中央にあるお厨子の中に安置されていますが、12年に一度、「辰年」にご開帳されています。

十一面観世音菩薩のご真言 

おんろけい じんばら きりく そわか

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